Born to run

ミナロは3年前の8月20日に創業開始。
その間様々な事がっあた。


いきなり言われた廃業宣言、起業か就職か迷った結果は新会社設立。
真夏の暑い中、一ヶ月という短期間で法人登記し、工場をかまえた。
最初にもらった仕事は装置の修理、5,000-だった。
しばらくは仕事が薄い、売上も少なく、数ヶ月は給料無しだ。
それでも初めて迎えた正月には、休みが取れないほど仕事をした。
原因は、慣れない金属加工の為、やり直しの連続だった。
結果は赤字にはなったものの、技術と自信を手にした。
それから徐々に仕事が増えだした、口コミとネットからの受注だった。
ゴールデンウィークも夏休みも無く、依頼された仕事をこなしていく。
一期目で黒字が出た、最初に無給で働いた効果だった。
二期目も取引先は増え続けた、ケミカルウッドの売れ行きも右肩上がりだ。
税金対策を考えなければならない状態まで成長した。
その頃から近い立場の人たちが集まりだした、魁☆小出塾の設立だ。
勉強会や工場見学といった建前の人脈形成の場だった。
今では魁☆小出塾で知り合った輪の中で仕事のやりとりもされている。
三期目の真ん中でミナロの社員が増えた。
給料を払えるか心配だったが、結果は一人増えた時点から売上が上がっていた。
三期目の納税額は新車が買えるほどにまでなっていた。
もったいないとは思うが、会社にお金を残すためには税金の払いも必要だ。
期の始めにたてた「利益を伸ばす、人員を増加する」の目標は達成できた。
すでに四期目は始まっている、数ヶ月先までの行動予定も決まっている。
「人と設備を増やし、社内社外問わず関わる人全員に利益をもたらす」
今期はこれを目標に決めた。
8月20日はミナロの誕生日、歳で言えばまだ3歳だ。
こんな幼い会社でも、色々な人が気に掛けてくれる、非常にありがたい。
気に掛けてもらっていたから成長できたと言っても良い、心から感謝する。
これから先は、気に掛けてあげられる側になっていきたい。
景気が良くなりつつある、一部では過去最高の利益、ボーナス満額だ。
しかしほとんどが企業優先の考え方だ、ますますリストラや退職者は増えるだろう。
作るモノが増えない限り、一部の人たちにしか利益は分配されない。
日本の製造業と技術を守り、発展させていくために何をすれば良いかを考える。
その答えをみつけるために、ミナロはこれからも走り続ける。
Born to run
*走るために産まれてきたのか、産まれたときから走っているのか・・・
田口トモロヲ風に読んでね。